2016年7月2日土曜日

3度目のシンガポールと台北の旅から② CHINESE as NUMBER 1

今を昔に比ぶれば…台北編


「慈佑宮」門前まで連なる夜市

私は中華料理が大好きである。
中国には何回いっただろうか?十数回は行っている。
1967年、香港へ行ったのが初の海外旅行体験であり本場中華料理体験の旅であった。お客様をアテンドするのが仕事だったので会社の経費で連日連夜円いテーブルを囲んで中華三昧を体験させてもらった。
余談になるが、その時観光で連れて行った丘の向こう側に灰色の茫漠とした大地を指さしガイドがそっけなく「あちらが中国大陸です」と言った。その時いつかあちら側に行ってみたいと思った事は今も忘れてはいない。

その後1972年、日中の国交が回復した。それまで台湾中国だけとお付き合いをしていた日本は国家としては台湾と縁を切りメインランドの中華人民共和国と正式な関係を結んだ。しかし台湾とは裏では戦前の日本台湾総督府統治時代以来ずっと人・物・金脈は深くつながっていた。深く静かに関係は続き現在では1800社も日本の企業が進出していると聞く。

なにしろ1回目の台湾へは1978年、2度目が1990年だったと思う。
26年経って今年が3度目ということになる。1回目、2回目とも目的が違う旅だったが中華料理の美味体験は忘れる事はなかった。

賑わう九份の観光客御用達グルメストリート

1978年、北京ダックを最初に食べたのが台北の家族経営の小さな店だった。案内してくれた商社マンは「蒋介石の料理番だったコックさんの店」と言っていた。だから伝統的かつ正統な「北京ダック」なんだとか。艶々としたキツネ色のダックが披露されその後ダックの皮だけが運ばれてきた。その皮をネギの芯と甜麺醤を一緒に餅皮に包み食べるのだ。初めての味覚体験は「北京ダック=ジューシーでパリパリ=最高の美味」と脳内に記憶された。国交回復直後の北京で老舗名を引き継いだ店で食べたが私の脳内記憶の北京ダックとは違った。銀座で北京の老舗を名乗る店でも食べたが、肉付き皮のうえ甜麺醤の味が違った。もうあの味を体験できないかと諦めていたのだが今回なんとあの「北京ダック」を同行した友人のお蔭で食す事ができた。
最初に食べた記憶のままであった。台北で北京ダック!
それにしても私は今まで長い中国の旅歴にもかかわらず、残念ながら中国本土で記憶に残る美味なる中華料理に出合った事がない。

行天宮でおみくじを引く若者達の群れ

お寺でおみくじを引き、夜市を食べ歩く台北の若者達を見て、そういえば中国本土ではお寺参りをするのは老人で若者を見かけなかった事を思い出した。
どこの国にでも中華料理があるのは世界中に華人が拡散しているからだ。
中国本土を除いてアジアの中華はどこでも美味しかった。シンガポール中華も台湾中華も美味しかったが、でも日本中華が一番好きである。


3度目のシンガポールと台北の旅から① CHINESE as NUMBER 1

今を昔に比ぶれば…シンガポール編

マリナベイサンズのバーからの夜景
ブレードランナーのワンシーンを思い起こさせる

この6月、週を跨いでシンガポールと台北に行った。
シンガポールは長期出張中の息子からのお誘いで突発的に、台北の旅は以前から計画していたものだ。ただ時期が集中しただけなのだ。今は両方ともビザがいらないし現地にそれぞれ宛てがあるせいか、国内移動と違いがないと感じた。
それほどにアジアの国同士、移動がたやすくなってきている。台北は3時間前後、シンガポールへはハワイ並みの7時間前後のフライトで時差が1時間のせいもある。そしてアジア圏では食事が口に馴染みやすい事もある。

さて、シンガポールの旅だが、1回目は1981年(35年前)で2回目は1990年頃で3回目は今回の2016年でいずれも観光目的であった。それと2006年に船旅で半日寄港したことがあった。そのときはラッフルズホテルにお茶だけしに行った記憶がある。 
昔の思い出と言えばとにかく暑かった事で植物園は良かったとかオーチャードロードの緑溢れる並木が美しかったなあとかマーライオンが小さくて白過ぎてがっかりした事とか人種によって住み分けている街だなあとか、他愛もない印象しか残っていない。

ガーデンバイザベイのドーム内からスーパーツリーを眺める

今回の旅でなにより驚いたのは小ぎれいな箱庭的な都市が更なる未来志向の都市を目指して発展を遂げつつあるという事だ。
湾を中心にして狭いエリアに縦横に走る道路網につながれた高層ビル群が林立する様は「ブレードランナー 1982公開の米映画」を思い起こさせた。巨大ドームに世界中の植物を集めた「ガーデンズ・バイザベイ」(20126月オープン)にはただ驚愕と感動。
町中ではなにより群を抜いてチャイナタウンは立派に大きくなっていた。
マーライオンは新しく作り直されたと思ったほど大きく見えしかも景気よく水を吐き出していた。なんでも2002年に風水によって現在の位置に移動し「マーライオンパーク」にしたおかげで国の運勢が上昇しているのだとか。

57階にインフィニティプールのあるマリナベイサンズに向かって
大いに気(水)を吐くマーライオン 

未来都市としてのシンガポールはアジアでは一番ではないか。輪タクや移動屋台があった昔の記憶を懐かしみながら新しいアジアの時代を体感できた良い旅だった。


2016年5月15日日曜日

旅のご縁が花の縁
















    SHIGEKO GARDEN の花たち

















まさか旅先でそんな縁をもらうなんて思いもよらなかった。旅は異なもの不思議ものを地で言ったお話しをしたい。

今年1月、釜山の旅で時知り合った方がご自分の名を付けたガーデンの話をされたので春になったらぜひ見せてもらいたい旨お願いしておいた。かねてより幻の花園をテーマにした曼荼羅絵を100号のキャンバスに描こうと思っていたからである。

ようよう季節が到来しこの4月、勇んで伊東へ花園を見に飛んで行った。
「SHIGEKO GARDEN」には様々な花が咲き乱れ、それぞれが生命の色を誇っていた。が、一瞬にして私が惹きつけられたのはまるで人のように見えたソメイヨシノの老木であった。手を広げあるがままの姿で枝を張って花を咲かせている様はまさに「私を描いて」と言われているような気がしてならなかった。
百年は越しているそうで「この桜と老犬とわたしのうち誰が先にこの世から去るか」が花園の主にとっての最大の関心事だそうな。季節が巡って花が咲き、季節が過ぎて花は散る。その繰り返しの中に生命の輪廻を見た気がする。


                    ソメイヨシノ

私にとってはそれが花で表現したマンダラ絵なのである。そして生き物同志の共感を覚えた。わたしも自然界の一部であり同じ仲間なんだと。その不思議な感動を無性に絵にしたくなり夢中でスケッチをした。国外で偶然に一緒になった方から絵のモチーフを描くチャンスを私はもらったのである。
呼び寄せたのは樹齢100有余年の桜の老木であったような気がしてならない。目下アトリエで製作しているのだが、桜の老木がいつのまにか人のようになってしまっている。

あの木に潜んでいた桜の精のなせる業かもしれないと思いそのまま描き続けている。どんな絵に仕上がっていくのだろうか。実のところ私にも分からないのである。


2016年3月13日日曜日

日本の秘境は外国人で大賑わい  今は昔にあらずして

五箇山相倉集落

今は昔、40年前のお話である。白川郷とやらが秘境と聞き及び金沢の友人に車で連れて行ってもらった事があった。くねった山道を幾重も曲がりようやくたどり着いた先に「白川郷」と呼ばれる合掌造りの集落があった。素朴な「日本の原風景」を見て「日本の秘境」を知った気になり感動した記憶があった。

ふと昔を思い出し雪に覆われた合掌造りの集落を旅してみたくなった。「白川郷」は観光地化が著しいと聞いていたので同じ合掌作りの小さな集落「五箇山」に泊ることにした。
今はネットで情報検索すればいくらでも現地情報が分る。しかしながら私にはどうもネット情報は絵に描いた餅のように見えて自分が食べたいお餅にはならない。
それで最近活用している方法は現地観光案内所にメールして自分が知りたい事だけ教えてもらう方法を取っている。これは個人旅行の私にとって精神的にも時間的にも好都合な方法だと気に入っている。

相倉合掌作りの家

さて今回今秘境?「五箇山」の合掌民宿で私は40歳前後のマレーシアからの夫婦と、同じ年代のイギリスからの男女のカップルと同宿となった。マレーシア組は15年前から毎年日本を旅しているとかで日本語は話せないものの日本の事、日本人の事を実によく知っていた。日本の牛肉が大好きで次の宿の奥飛騨で「飛騨牛」を食べるのが楽しみだとか。イギリス組はなんと50日間、北は北海道から九州鹿児島まで日本を旅してまわっている最中で東京ではアパートに泊っているという。彼らも日本語は駄目だがすべて知りたい情報はスマートフォンでアクセスできるので何不自由ないそうだ。それにプラス宿や旅先で出会う日本人で英語が分る人達からの現地情報。さっそく私は彼らからおすすめのスポットや日本の風習習慣への疑問点を次々と聞かれ答える羽目になってしまった。

行きの新幹線でもこんな事があった。香港からの若い女性と隣り合い偶然言葉を交わしたことがきっかけで高岡に大仏をワンデイトリップで見に行くこと、JRのフリー切符を使って翌日もこれまた日帰りで立石寺に行くこと聞き寺が大好き人間なのだと知った。嬉しくなって寺の情報をあれこれ教えてやったらその場でタブレットを操作して私が言った事の情報を詳しく調べていた。これも仏さまのご縁だろうか?

白川郷を城山展望台から望む

さて秘境「五箇山」の後「白川郷」に行ったのだが中国人で溢れかえっていた。最近はなんでも8割が中国本土・台湾・香港を始めとする中国勢とタイ・マレーシア・シンガポールなどのアジア勢が中心だそうだ。関西から近いこともあるだろうが。世界遺産の「日本の原風景」を訪れる外国人の多さに驚き、世界遺産の看板力が日本の秘境を変えた事に驚いた。

そしてなにより香港・台湾を含む中国人達が「日本の原風景」をいかに大好きか知った事が驚きであった。

2016年2月14日日曜日

2時間で行ける隣国、韓国―釜山近代歴史館と日本人移住集落街―

釜山近代歴史館
(日本統治時代1929建設 元東洋拓殖(株)釜山支店現現釜山歴史館)


20077月に壱岐に旅したついでに対馬に渡った事がある。その日は晴れていて韓国展望所からはしっかり釜山が見えた。約50キロしか離れていないというその近さを実感した。
対馬の旅と京都の旅と今回の釜山の旅は時期も違えば目的も違っていたのだがなぜかコヨリの如く絡みあって日朝の歴史を私に考えさせてくれた。  

ところで今回なぜ釜山に?だが、何を隠そう韓国で冬の味覚を存分に楽しみたかったからである。お目当てはズワイガニとフグと焼き肉と韓国郷土料理+マッコリ。ちょうどよい具合に知り合いの旅行社がグルメツアープラスお寺と温泉付きを企画していたので便乗した。こういう添乗員付きの旅も楽ちんのうえ同好の見知らぬ人との出会いもあってそれなりに面白い。「旅は一人旅」がモットーの私にしてみればなにしろ体だけスケジュールに合わせればよいのだからこんな楽な旅行はない。荷物も持たず手続き一切を自分でしなくてよいうえ、連れ廻ってくれる。帰国後は旅の記録まで送ってくれるサービスもあって至れり尽くせりである。
 
竹島市場(ジェクド)の茹でズワイガニ;

さてそういうツアーではあるが、しっかり近代歴史を廻るコースが組まれていた。
釜山近代歴史館となっている旧東洋拓殖(株)釜山支店の建物と九龍浦に残る日本人移住集落街の見学である。それによって日韓の近代歴史をより実感をもって知ることができた。
国の歴史というものは天橋立の「股のぞき」のように真逆から見るとまったく違う光景に見え違う解釈となる。起きた事実は一つであっても、所属する国が違えば個人レベルでも全く同じようには見えないのも事実である。ざっと3千年も大昔から日本と朝鮮半島の歴史は積み重なって今日に至っている事は事実である。日本海という内海を通して一族、部族、邦、国単位で戦いと和平を繰り返してきた事も事実である。
ずっとこれから先もこの日本は朝鮮半島の国々とうまくやってきかなければならない事も事実である。
そのような意味からも個人レベルで釜山近代歴史館と日本人移住集落街を訪ねた事で真逆からこの国を客観的に見ることが出来て良かった。

日本人街(九龍浦地区)

しかし、なにより良かった事は、日本だったら高くつくズワイガニとフグと焼肉と郷土料理の数々を連日食せた事実である。私にとってはそれによって幸福(口福)を味わえた事がなによりの事実なのである。


2016年1月30日土曜日

天橋立の股のぞき


12月のパレスチナへの旅はいささか心が緊張と高揚したので新年は心穏やかに始めたいものだと京都に出掛けた。

正月らしさを感じられるスポットはなんといっても神社。初めて訪れた正月の下鴨神社は緑と掃き清められた玉砂利に赤い社殿と白装束の巫女さんが映え美しかった。清々しい。世界遺産にも登録されている下鴨神社(賀茂御祖神社)はこの地に建てられて2千年以上も経っているとのこと。どおりで杜に深みがある。
その杜に魅了され京都から足を延ばして天橋立に行こうと思い立つ。
理由は自分の目で神話を確かめて見たくなったから。今までに日本三景のひとつと言われている天橋立には行ったことがない。あまりにも有名観光スポット過ぎて敬遠していたからである。今は原本がない「丹後風土記(8c中頃成立)」にもこの天橋立の事が書かれているという。なるほど行ってみて古来よりずっと有名であり続けてきただけはある景色だと実感する。有名な「股のぞき」もして見た。なんと陸から天に橋が架かっているように股の間から見えるではないか。地上から天に昇っていく龍のようにも見える。

                    天橋立の股のぞき

ここが国(島)生み神話のイザナギとイザナミの天浮橋(あめのうきはし)だと思えば、思えなくもない。
丹後半島には日本が縄文時代と呼んでいる時期に(1万5千年前―2千3百年前)、すでに人が住んでいた。縄文石斧、黒曜石のヘラ、祭祀土器、勾玉が眞名井神社周辺で多く出土したそうである。この地が日本海を挟んで大陸との人と物の交流・交易がいかに盛んだったかを物語っている。

天橋立を渡ると元伊勢籠(もといせこの)神社に着いた。伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神の出身地だそうな。その奥院が眞名井神社で深い杜に囲まれていた。水と杜と磐座に象徴される自然崇拝をむねとする日本神道の真の姿を見た気がした。

元伊勢籠神社

眞名井神社

日本最古の歴史書と云われる古事記と日本書紀を鵜呑みにする気も詮索する気もないが創生神話を知っておく事は大事だと思っている。それと合わせて天橋立の股のぞきのような視点で歴史を見る事も大切だと私は考えている。地図を逆さにして見ると日本が日本海という内海を挟んで大陸と陸続きのように見えるのは事実なのだから。

2015年12月30日水曜日

聖地③ イスラエルの「壁」がパレスチナの「嘆き」ではないのか

武装兵士が立っている検問所

ベツレヘムの壁

入植地を囲う壁

オスロ合意から224か月経った今、両者の関係に緊張が高まりつつあるとメデイアでは伝えられている。事実かどうか私には分からない。12月の6日から11日までパレスチナのラマッラ―とベツレヘム・ジェリコとエルサレムへのご機嫌な旅をさせてもらった私にしてみれば「犠牲になるのはそこに今暮らす人達なのに」と思わずにはいられない。天気も良く行きたいところに行け、見たいものは見ることができ、食べたいものも食べられた私としてはこれからパレスチナの旅をおすすめしたいと思っているからだ。

たった4日ほどの滞在で両者の深くて暗い政治問題の何を言えよう。それは盲人が象の一部をなでてそのものを言い当てようとするようなものだ。知りたい人はご自身で多方面から情報を得て欲しい。数日の旅ではあったが道中から見た風景で奇異に感じたのは、長い壁のような柵がやけに張り巡らされている事。ガイドに聞いたら「イスラエルへの入植者に安全を保障するという名目で実はパレスチナと分断隔離するため」とのこと。

武装兵士が待つ検問所の多さにも驚いた。「イスラエル側へのパレスチナ人の出入りを監視するため」。ベツレヘムの宿泊したホテルのエレベーター内には大きな監視カメラがあり「カメラに向かって微笑みましょう」と貼紙されていた。観光客の私でも自国がこうなら「嫌だな」と感じたほどだ。その土地に生まれ育ち暮らす人達にしてみれば毎日どれほどプレッシャーに感じていることか。日常に壁がある事がますます両者を隔てていくのではないか。目に見える壁だけでなく両者を隔てる心の壁も取り除いて欲しいと願う。
これほどまでに世界宗教のエッセンスが詰まった処は世界中探してもどこにもないと思うからです。